溶存する

僕が普段感じたことや考えたことを、つたない日本語を駆使して必死に伝えようとするため、自分自身に残しておくために文章を書いています。

エネルギー

人にはやっぱりエネルギーがあって。それをどこに向けるかは人それぞれだけれど、有り余るエネルギーを上手いこと使えないかと日々考えていた。考えを実行に移してる段階なのだが、どうやら人はあるエネルギーに対して外部に向けたがらない人も多いらしい。内向的か外向的かという二項対立で済むような話ではなくて、根幹として自身が世界の一部か、世界が自分の一部かという当事者意識の差がそうさせてるんじゃないかとしみじみと感じた。

 

その前者後者に、自身の世界の広狭はあんまり関係がなさそうだし、自身についてどれだけ中心的になれるかが差なんじゃないかと人の話を聞いてて思った。後者に対しては僕も同じような人間であるし、余るエネルギーを外に向けることはわりと簡単にできつつあるが、前者に対しては非常に難儀している。彼らにとって、或る世界は自身の生の場所でしかなくて、生を包み込むようなスケール感を与えてくれるようなものじゃないのかもしれない。

 

わからない。受け入れ難いわけではない。ただわからない。理解不能とまではいかないが、僕は自分より世界が好きだ。この世界が好き。戦争があって、貧困があって、平和があって、既得権益があって、無駄がありすぎるこの世界が好き。余白的な世界を見つけるのも好きだし、詰め込まれた世界に一石を投じてみるのも楽しい。前者後者の間の違いがどこなのか、人生経験が薄くて僕にはわからない。

 

僕はより民衆的で、彼らはより貴族的なのだろうか?

 

 

 

 

わからんちんぽ

国内

夏休みを利用して5日ほど東北地方にいたのですが、そこで思ったことを書こう書こうと思っていました。悩みに悩んだ末に書けなくなってしまい、よーし書くぞ!と思い立ち今、書いています。

 

 

 

かからさらに3ヶ月経ちました^^;

 

生まれた時から都会と呼ばれるような地域に住んでいまして、地方、田舎という地にある程度の憧れを僕は持っていました。

 

田舎で生まれ育った人間の話を聞いてみると、彼らには都会に対する羨望があるようで、もう2度とあんな田舎で住みたくないという人もいます。都会に住む人間にはやはり、休暇は田舎で過ごしたいよなぁ!?と言ったことをつぶやく人も少なくないように思えます。

 

ここで明らかになってるのは、都会に住む人間には「住みたくはないけれど、田舎にはある種の憧れに近い念を持っている。」のに対して、田舎に住む人間には「都会に住みたい、都会すごい。」といった、抱く対象こそ対照的でありますが、抱く感情は別個のものとなってます。

 

田舎からしてみれば、都会に置き去りにされている、取り残されている(それは経済的にも、政治的にも)という考えが強いみたいで、戦後に都市に働きに出たり、列島改造論でなんやかんやされたりと(説明がめんどくさいので調べてください、ごめんなさい。時間があれば僕なりの解釈を書こうと思います。また今度。)経済主体から外された!という思いがやはりあるのでしょう。

 

 

 

さぁさて、平成に生まれ、失われたうん10年の後、オウムの事件、災害の訪れた後の時代に生まれ落ち、産んだ両親は憧れとしててできた都会に住み、その地で僕を生んだ。僕の田舎への想いをまずはつらつら書こうと思います。

 

 

 

 

先ほど、田舎は都会に置き去りにされたような感覚を抱いてると書きましたが、僕は逆に田舎に何か置いてきたままにしてしまったんじゃないかという気持ちがとても強いのであります。

その何かの正体こそ、僕の、延いては僕らの田舎への憧れの本質なんじゃないかと思います。

 

"その何か"とは、"伝統的なこの国のあり方"であると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とまぁこれが過去。

今これを振り返る心の余裕というか、尺度も変わったし。書くのが難しい。とりあえず公開。年内にきちんとしたの書きます。じゃあな!

 

 

政治の話が嫌いなのは

 

政治の話はできなければいけないと思うけど、あまり、積極的に話すような話題にしてはいけないと思う。

政治と宗教の話はするなと言うが、これはすごくいい言葉だと思う。最近なら家族構成もあんまり聞かないほうがいい気もするけど。

 

政治の話って、結局不満しか出てこなくて、代案を出せないし、実行できないんですね。超有名な知識人の人なんかも、なんで代案を出せと言うんだみたいな姿勢ですし、彼らにとって政治の話ってのは厭世を拗らせた様にしか僕には見えません。

 

もっとこう、楽しい話を僕はしたいですね。

する相手もいないんですけども。

 

政治以前に、僕らは生きている人なんだから、必死に生活する必要があって、そこで他に話したいこととか、それに必要な政治の話とかはあるけど、普段から政治の話を触れることはあんまりない。政治の話を普段からよくする人はそういう人を心底馬鹿にするし、しない人は苦手だな〜〜〜〜と思っている。

政治の話は理解できなくちゃいけないとは思うけど、積極的に嬉々として話すことではないと思いました。

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映画とか、音楽とか、食べ物とか、好きな本とか、そんな話を、僕はしてたいな。