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溶存する

僕が普段感じたことや考えたことを、つたない日本語を駆使して必死に伝えようとするため、自分自身に残しておくために文章を書いています。

視覚の捉える次元

6月下旬に更新すると言ったものの

書こうと思った内容についてまとまらなかったので、別のことを書こうと思います。

すごくつまらないし、当たり障りの無いようですし、てきとーに文書いたので、あんまりお勧めできる記事になってません。。。

 

こんばんは。

僕です。

 

 

ブログの下書きのところにB級SF映画のレビューを深夜記憶のない時に書いてて、こんなものを公開するわけにもいかん。 

 

というわけで今回は、僕が普段歩いてる時に考えてことの一つをあげたいと思います。

 

 

タイトル通り、視覚の話です。

 

我々、何か物を感知する時に、匂いや触り心地、味や音なんかじゃなくて、目で見てそれがなんなのか、どれくらいの大きさなのか、形は何で、危害があるのかないのか、そんなことを考えると思います。嗅覚や味覚を使うときは、化学物質を色々と受容して云々と、(まぁそんなこといったら他の感覚だって神経が受容してるんですけど、とりあえずそんなことは考えないで)視覚、聴覚、触覚を使うときは、物理現象を色々と受け取ると。こういう違いがまず五感内にあると思います。今回は特に後者について考えます。

難しい話になると、人間の体なんて全て伝達物質による作用なんですけど、今回は五感を僕が捉えているかという観点から話をさせていただきます。

 

さて、先ほど挙げた後者のグループなんですけど、目で見てる時、立体的に世界を捉えているものの、見ているのは画像、遠近法なんかを駆使された超精巧な絵画、写真なんかと変わらない、二次元的な広がりしか持てません。一方、触覚は触ればそれがゴツゴツしてるだとか、ある程度の形を三次元的に捉えることができます。音だってどの方向からどのくらいの距離でと、三次元的に捉えることができます。

明らかにこのグループの中で視覚は浮いているのです、劣っています。

 

例えばコウモリなんかは、音波の反響から世界を捉えます。彼らにとっての環世界は、僕らの捉えている世界よりよっぽど三次元的な空間なんだと思います。

 

僕らは二次元的に世界を捉えているものの、体感サイズより小さく見えているものは遠くにあると無意識に処理することができます。

脳によって、二次元的な世界は、三次元的な世界に昇華されるのです。

そしてここからもっと恐ろしいのは、その背景や、時間の前後でさえある程度頭の中で描くことができます。

 

めっちゃ恐ろしくないですか????

脳やばすぎませんか?????

しかも、現実にはありえない存在ですら、自身の世界に存在させられることができるんです。

ちょっとやばいです。

 

まぁこんな話どうでもいいんです。

 

 

 

 

 

ほんとは舛添さんの話しようと思ったんですけど。政治と宗教の話は、自暴自棄になってないとしたくないんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追伸

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