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溶存する

僕が普段感じたことや考えたことを、つたない日本語を駆使して必死に伝えようとするため、自分自身に残しておくために文章を書いています。

国内

夏休みを利用して5日ほど東北地方にいたのですが、そこで思ったことを書こう書こうと思っていました。悩みに悩んだ末に書けなくなってしまい、よーし書くぞ!と思い立ち今、書いています。

 

 

 

かからさらに3ヶ月経ちました^^;

 

生まれた時から都会と呼ばれるような地域に住んでいまして、地方、田舎という地にある程度の憧れを僕は持っていました。

 

田舎で生まれ育った人間の話を聞いてみると、彼らには都会に対する羨望があるようで、もう2度とあんな田舎で住みたくないという人もいます。都会に住む人間にはやはり、休暇は田舎で過ごしたいよなぁ!?と言ったことをつぶやく人も少なくないように思えます。

 

ここで明らかになってるのは、都会に住む人間には「住みたくはないけれど、田舎にはある種の憧れに近い念を持っている。」のに対して、田舎に住む人間には「都会に住みたい、都会すごい。」といった、抱く対象こそ対照的でありますが、抱く感情は別個のものとなってます。

 

田舎からしてみれば、都会に置き去りにされている、取り残されている(それは経済的にも、政治的にも)という考えが強いみたいで、戦後に都市に働きに出たり、列島改造論でなんやかんやされたりと(説明がめんどくさいので調べてください、ごめんなさい。時間があれば僕なりの解釈を書こうと思います。また今度。)経済主体から外された!という思いがやはりあるのでしょう。

 

 

 

さぁさて、平成に生まれ、失われたうん10年の後、オウムの事件、災害の訪れた後の時代に生まれ落ち、産んだ両親は憧れとしててできた都会に住み、その地で僕を生んだ。僕の田舎への想いをまずはつらつら書こうと思います。

 

 

 

 

先ほど、田舎は都会に置き去りにされたような感覚を抱いてると書きましたが、僕は逆に田舎に何か置いてきたままにしてしまったんじゃないかという気持ちがとても強いのであります。

その何かの正体こそ、僕の、延いては僕らの田舎への憧れの本質なんじゃないかと思います。

 

"その何か"とは、"伝統的なこの国のあり方"であると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とまぁこれが過去。

今これを振り返る心の余裕というか、尺度も変わったし。書くのが難しい。とりあえず公開。年内にきちんとしたの書きます。じゃあな!