溶存する

僕が普段感じたことや考えたことを、つたない日本語を駆使して必死に伝えようとするため、自分自身に残しておくために文章を書いています。

エネルギー

人にはやっぱりエネルギーがあって。それをどこに向けるかは人それぞれだけれど、有り余るエネルギーを上手いこと使えないかと日々考えていた。考えを実行に移してる段階なのだが、どうやら人はあるエネルギーに対して外部に向けたがらない人も多いらしい。内向的か外向的かという二項対立で済むような話ではなくて、根幹として自身が世界の一部か、世界が自分の一部かという当事者意識の差がそうさせてるんじゃないかとしみじみと感じた。

 

その前者後者に、自身の世界の広狭はあんまり関係がなさそうだし、自身についてどれだけ中心的になれるかが差なんじゃないかと人の話を聞いてて思った。後者に対しては僕も同じような人間であるし、余るエネルギーを外に向けることはわりと簡単にできつつあるが、前者に対しては非常に難儀している。彼らにとって、或る世界は自身の生の場所でしかなくて、生を包み込むようなスケール感を与えてくれるようなものじゃないのかもしれない。

 

わからない。受け入れ難いわけではない。ただわからない。理解不能とまではいかないが、僕は自分より世界が好きだ。この世界が好き。戦争があって、貧困があって、平和があって、既得権益があって、無駄がありすぎるこの世界が好き。余白的な世界を見つけるのも好きだし、詰め込まれた世界に一石を投じてみるのも楽しい。前者後者の間の違いがどこなのか、人生経験が薄くて僕にはわからない。

 

僕はより民衆的で、彼らはより貴族的なのだろうか?

 

 

 

 

わからんちんぽ