溶存する

僕が普段感じたことや考えたことを、つたない日本語を駆使して必死に伝えようとするため、自分自身に残しておくために文章を書いています。

20歳の等身が成人式についてどう思うか

こんばんは

かれくさです、名前だけでも覚えて帰っていただけたらなと思っております。

 

 

成人、20歳という年齢だけであるなら半年以上前に迎えていたのですが、成人式というイニシエーション(広義の意味で)があったため、そこで思ったことをつらつらと書こうと思っています。

 

 

 

 

 

あろうことか成人式の記事を書くと言ったにも関わらず、僕は成人式に行ってませんでした。特に理由もありません。寝坊だの友達が行かないだのそんな、平々凡々な理由です。成人式前日に、所属していたコミュニティから嬉しいことにお誘いをいただき、朝からお酒を飲み、翌日成人式だと意識していたので終電には帰ろうと、終電までお酒を飲んでいて、家に帰って家族と少し話してから寝ました。起きた時間は午前7時、二日酔いはありませんでしたが、寒いしなんかめんどくせえし、いっかなー。と思ってしまい、上記の通り成人式には出ませんでした。

 

成人式が終わった後、友人と会い、どうだったかと聞いていましたが、旧友との再会を果たす場として以外の価値が式には無いといったようなことを言っていました。もちろん、感性が豊かな人であれば共同体のイニシエーションがどうたろこうたろと考える人もいるのでしょうが、一般的な感性ではそこまで考えることもないし、考えたとしても人に伝えるようなことではないと判断したのでしょう。

 

出てない僕がいうのも御門違いなところがあるんですが、それってとても、寂しいことだと思いますし、人の限界のようなものを感じました。グローバル社会だの地域創生だの、相反する二つの理念が混在し(画一された理念が存在している状態などありえないし、あってはならないと思ってますけれどと。)、それがよりはっきり具体的に目で見てわかる現代社会においても、成人式に出てもムラ社会的な付き合いしか露わにならない。一部の集団が牽引する社会、これはもはや人間の性質、限界であるのではとひしひしと周囲の声から伝わり、落胆することもなく一人部屋で考えていました。

 

貴族と大衆が、社会の大きさごとに分けられていて、真なる平等などやはり我々人間には存在せず、妥協を重ねた平和を目指すのが最も現実的だと、そりゃそうだわといった感じで思考の後に笑っていました。

 

ナショナリズムの台頭、国境線の増加、ここ二、三年でたくさんの大きな動きが見られています。テレビのニュースでは今年は激動の年になるだの言ってますが、そんなものは今後一切来ることなく、緩やかに世界全体が自分の国、自分のことで手一杯になるのにあと30年もかかることもなくなると思います。(憶測でしかありませんし、何の根拠もありませんが。)

 

ただ、それをネガティブなことと受け止めることなく、人はまだまだ内輪的には大きな力を秘めていると信じて、専門と総合をより一層できるような未来になればいいですね。

 

 

 

さて、成人式の後に友人とバイオハザードザファイナル?みたいな映画のようなものを見たんですが。。。

 

 

若干のネタバレ注意

 

 

 

 

 

 

 

なんやこれいったい^^;

あんなんtウイルスで語れるバケモンちゃうやろ

スパイはまぁそりゃお前やろ

あ、はい

えぇ、、、

あっ、ふーん

 

 

 

って感想の映画です、バイオハザードという土台が無ければ-4点くらいの出来な映画でした。

新年早々見た映画があれだと思うと、なんだかやるせなくなっちゃいますね。

 

それでは、今年もよろしくお願いします。