溶存する

僕が普段感じたことや考えたことを、つたない日本語を駆使して必死に伝えようとするため、自分自身に残しておくために文章を書いています。

漫画村問題から見るポスト・トゥルースと現代の哲学的課題1

漫画村の問題点を挙げろと言われると、著作物を違反に配信しているということが槍玉に挙げられる。そしてその持論の展開される場の多くはSNS、特にTwitterであったと思う。理由を挙げるとするとTwitterユーザーである漫画家がその他のユーザーに対して感情に訴えかける運動を展開していたからだろう。この時、無断の配信という違法性という真実よりも、漫画家が可哀想だの感情を反対意見の根幹としているように常に感じていた。まさにこれはポスト・トゥルースそのものであり、外野から見てた僕にとってはオモシロ以外の何物でもなかった。

 

無断配信といった違法行為を以下真実として表現する。この真実に対して真っ向から向き合える人間は現代には希少な人物であり、ステレオタイプとしての現代人は、インターネットで時間だけを浪費して、無料でコンテンツを享受しているように思える。特にそれが顕著に表れているのはアダルトコンテンツ、音楽、アニメといった手短な存在であり取り組むことにモチベーションを要さないようなものであろう。漫画村は否定するけど、AVはネットで見てますなんてやつは大勢いるだろうし、音楽をyoutubeから割ってるやつもいるだろうし、ひまわり動画やanitubeなんかでアニメを見たことがあるやつなんていくらでもいるだろう。僕自身大きな声では言えないが、自由に使えるお金の少なかった高校時代には、アダルトビデオはインターネットで視聴していたし、中学生の頃アニメをyoutubeで見た記憶もある。今となっては各コンテンツにお金を使うようになった。AVはDMMで購入しているし、アニメなんかも加入している配信サービスやBOXを購入して視聴している。ただこの行為は個人主義的合理主義において愚行そのものである。わざわざ金をかけなくても消費できるコンテンツに金をかけてより有限にコンテンツを楽しんでいるのは馬鹿だという意見はミクロに見た時、否定できる材料などないのだ。もちろんマクロに見た時、お金の回り方を考えると無料でコンテンツを消費するのは愚行そのものであるが、ミクロとマクロ、個人と総体は分けて考えないと、ポストモダンの亡霊である相対主義に縛られて一向に議論が前進しないのでこう扱っている。

 

 

 

 

続きます(気が向いたときかきます)