溶存する

僕が普段感じたことや考えたことを、つたない日本語を駆使して必死に伝えようとするため、自分自身に残しておくために文章を書いています。

花火をした話

8月30日

 

前日の酩酊が少し残った状態で、とても暑い日の昼過ぎに、バイト先の人と以前の店長の働いてる店に行った。お互いの近況を聞きあい、みんなが生きてることを確認した。そこで僕は一緒に来てた奴の話を拾うばかりで、自分の話はバイトの最近の忙しさを語るのみで、決して自分の現状の話をしなかった。

日常を、自分のそれに対して、忌むべきどうしようもないものと、大学に突然通えなくなった話をまだ中々人に話せずにいる。

 

特にそのことに対して気を落とすこともなく、新宿から遠く離れ、神奈川県にまで向かった。ただ海で花火をしたいという目的のために。声をかけた何人かは予定が合わず、3人という少ない人数で僕らは退勤ラッシュの電車に揺られて茅ヶ崎の海まで向かった。

 

着いてみたらサザンビーチに近付くにつれ人通りが多くなっていた。こんな夜に、茅ヶ崎の海になぜこんなに人がと思っていたところ、aikoのフリーライブがその他で行われていることを同行していた女性から聞いた。

 

僕らはそんな地で花火ができるのか不安になりながらも、彼女のライブが終わるまでラーメン屋で食べながら時間を潰していた。ライブに合わせて上がる花火をラーメン屋の窓から眺めつつ、次第に暗くなっていく空と、ライブ帰りの人通りの多さに驚きながら。

 

結果はなんとかできた。浜辺を歩き、ライブ会場から離れたところで僕ら3人はaikoのための照明を背に花火を始めた。波風も強く、中々上手くはいかなかったけれど、照明に照らされた僕らはとても絵になるような様態だった。

 

煙草を燻らしながら、花火をしてる姿を眺めながら夏がどんどんと過ぎ去りつつあるのを感じていた。2018年になってまでも、アナログな火の光に騒ぐ僕らを、スマートフォンのライトとライブ会場の照明が、どこか皮肉めいてるようで面白いなと思っていた。バイト仲間はバイトの不安を海に向かって叫び、それを眺めてケタケタと笑っていた。

 

バイトの女の子に夢を語られ、ただ僕にできる応援と少しの警告を、自分の身を棚に上げて話して、年号最後の夏の夜はそんなハプニングと映画のような情景の記憶を僕に落として終わっていった。

 

ここから僕はまた大学に通うことに向かい合わなければいけない。少し気が遠いような話だけど。教授に謝罪のメールを入れる準備から始めようかな。大学の数少ない友人は遊びに誘ってくれるものの、少し向き合う力強さと勇気が僕に足りない。予定が合わないのもあるけれど。

 

少しずつ一歩一歩進んでる気はする。僕の望んでなかった人生が、刹那の楽しみを享受するくらいにはマシになった。生まれてよかったと思えるように行動しなくちゃ。まぁ見てて。どこかで。