第一回Twitterおりょうりクラブ
【第一回Twitterおりょうりクラブ】
お久しぶりのブログ更新ですが、第一回はじめてゆきましょう!!
(インターネットの人たちは40文字以上のテキストが読めないそうなので、画像を多めに、そういうブログに切り替えてゆきます。)
第一回のテーマとして私がTwitterの方に掲げさせていただいたのは、カレーでした。
言い出しっぺの私がやらないわけにもいかないので、とりあえず「キーマカレー」を作ることにしました。
「料理が苦手だよ~」だの、「食材切り方わかんないです~」などと宣う料弱の皆様にも非常に簡単に作れるレシピなので、真似してみてくださいね。
私もあまりお料理上手じゃないですが・・・
「料理ってこんなノリで作っていいの!?」
とみなさんの料理へのハードルを下げられればなと、切に願うばかりでございます。
使ったもの
・たまねぎ 小さいの3つ
・にんじん 1.5本
・セロリ 1本
・ひきにく 300g
・黄パプリカ 1個
・ピーマン 2個
・ズッキーニ 1本
・オリーブオイル てきとー
・ジャワカレー中辛 全部
・はちみつ ちょっと
・カットトマト缶 1缶
・バター えい!ってくらい
①ソフリットを作ろう!
「ソフリット」ってなんだよ・・・といきなり躓かないでくださいね
僕もまぁよく分かってないんですけど・・・
香味野菜をみじん切りにしたものをオリーブオイルで炒めたみたいなやつです。
私のキーマカレーはあまり水を足さずに、ソフリットから出た野菜の水分とトマト缶で割とドロドロの物を作ります。
碇君に見つめられている玉ねぎ
これから刻まれることを察しておとなしくなった人参
写真を取り忘れたセロリ
それらをみじん切りにします!!!
してください!!!!!
めんどくさい・・・
そう、こいつら全員を切り刻むの、本当にめんどくさいです。
大学時代5,6年飲食バイトの仕込みでみじん切りを繰り返してきた私でも、本当に嫌です。ましてや普段料理をしない人にみじん切りをさせるのは酷すぎます。
なんで今回は食材を細かく切り刻んでくれる「アイテム」を使用します。
すべての食材のみじん切りにかかるターンが10ターンぐらいだとすると、ほんとに3ターンくらいで終わるのでおすすめです。
(キーマカレーの粒感というかなんというか、そういう細部の食感を大切にしたい方はみじん切りをお勧めしますが、時短料理ですのでご容赦ください。)
今回私が使ったものはこちらです。
持ち手を引っ張るだけで食材が切り刻まれるのでほんと楽でした。
②ひき肉を炒めよう!
僕は油を敷かずに炒めます。
色が変色するまでは触らずに、少し焦げ目をつけて裏返して、ざっと火が通ってしまえばそこで火を止めてもらって大丈夫です。
みじん切りにした野菜とひき肉を炒めている最中です。
野菜をオリーブオイルで炒めると・・・
わぁきれい!
ひき肉も入れちゃいます!
水分、出てきましたね~~~~
蒸気が熱い!!!
③トマト缶を入れよう!
缶の蓋、最後にべっりとするの、なんかこわくないですか?
トマト飛んだらどうしようとか、怪我したらどうしようとか・・・
不器用すぎて指かけのところだけとれてしまいました・・・
左手の薬指にはめてみましたが、暗器使いになってしまいました・・・
水もたくさん出てますね!
ここにカレールー、ぶち込みます!
④食感を残したい野菜を切ろう
カレーが煮詰まってきたら1cm角切にしたパプリカやピーマンを入れます!
この子たちは食感あった方が楽しいので、後入れします。
うちにあったクミンはほとんどなかったので、気持ちだけ入れときました。
できてきたね~~~~~~~~~~~
枯草煮込み中・・・
NowStewing...
最後にズッキーニを焼いてのせて
できましたわ~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!
おいし~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!
ちなみに僕はカレーは混ぜて食べる派です。
皆さんもぜひ作ってみてくださいね!
煮込み料理は料理の最難関「見た目」をあまり気にしなくてよいので、簡単にできちゃいますよ~
追伸
各々の夏をテーマにしたカレーを作りましたら、ご連絡宜しくお願い致します。
楽しみにしていますね!
桜が嫌いだ
僕は桜があまり好きではない。
もう散り散りになってしまったそれは樹木に咲く集合体としての連結した桜のイコンを失ってしまい、連結無くした死に絶えアスファルトに横たわる遺棄されたモノに見えて仕方がない。川に落ちた桜の花びらなんてものは、信心さえも無くしてしまい、伝統だからという理由で行われ続ける未来のガンジス川のようにしか僕には見えない。それがどこか後期資本主義に雑多にひと塊りにされたものとして整備された河川敷と桜並木とを見て少し鬱屈する。
桜とともに新年度は来てしまうが、僕にとっての新年度はいつも苦い思いが募るばかりで、今現在の未来から見た過去の現在の自分を笑うことが出来ても、その時点での僕の思いは、それは本当に良い思いがなかった。
入学式というものを何度か経験したが、その全てが自分の望まない結果を強制的に受け入れさせようとする儀式のように思えて仕方がなかった。もちろん完璧な結果ばかりで生きてきた人なんていないと思う。みんなどこかで区切りをつけたり、新しさに順応しようと努力している。そうするのが正解だとは思うけれど、そういうことができない時期もある。そうするとなかなか人間社会の持続するコミュニティの中での立ち振る舞いの全てが困難になってくる。大学生の僕だ。思えば中高時代も別に対してそうした努力をしてきたわけではなかった、たまたま僕のことを面白がって仲良くなった連中のスクールカーストが高めだったために、うまくやっていったが、そうした全体的なコミュニティを欠いた大学というコミュニティの中で僕と話す人間は大学院生と教授ばかりで、同年代の学生との交流が皆無に等しい。そういったコミュニティにおいて周りの情報はひどく入ってこない、僕に世話をかけるわけでもない、正直扱いに困るコミュニティだ。悪く思ってはいないけれども、良く思ってる節もあるが、最高!と答えることは難しい。誰しもが自身のコミュニティにそのような感情を抱いていると思うが、僕の場合はあまりにも同期との交流がなく特異性があるとだけ記しておく。
話はそれたけれど、とにかく未来から見つめている今でさえ、笑い飛ばすことはできても納得のいくものとして四月の桜の景色映る世界を快く受け入れることができずにいる。そうした景色とリンクした感情というものは残っていくものだと思う。それは別に景色に限定した話でなく、なんらかの五感と感情は現在と過去の中でリンクする傾向にはあると思う。未来になってしまうとまた違う思いを描くことができるが、その時点での現在と今にとっての過去の中で自身がそうした感情を抱いていたというのは紛れも無い事実で、記憶の改竄を行なってしまうようなことも困難だ。人並みに愛を知った人々にとって感傷的な気分の際に聞いた曲というものはそうした曲として自己のうちに昇華されてしまう。曲に限定した話ではないが、作者の意図を超えて自身の経験のうちに作品が捻じ曲がってしまう。インスタントに作品と触れる機会が多く、簡易的な接続を可能にし、生活と連結してしまった現代においてはより顕著だろう。評論なんてものも結局は読み取ったことが自身のうちで知らぬ間に捻じ曲がってしまうなんてことは往往にしてよくあることだ。
そんな訳で僕にとってのさくら咲く季節なんてものはどこか苦い思いばかりの誰からも評論されることのない、メディアによるおめでたいイメージとは正反対のものとして、より目立って僕の脳内で顕現し続けている。桜前線と共に近寄る過去の失敗の自身への侵犯としてあの桃色の花を咲かす樹木は還元されてしまった。
桜の花びらより葉桜の方が好きなのは、そうした失敗と倦怠とが時間と共に緩やかになった自身の感情の揺れと同様に。
だからといって決して凛と咲く桜に対して汚いと思うことはあまりない。綺麗だと思う。電車の車窓から見えるそれなんて、もう咲いたのか、おめでたいなとさえ思ってしまうこともある。それは立ち止まって見つめるそれと違って、瞬間的なイメージが切り替わり続ける車窓からの景色だからだ。
立ち止まって見つめる桜を視界における世界の連結部分とするならば、車窓から見える桜は連結そのものだろう。
僕らの日常はそうした瞬間瞬間のイメージの連結で創造されている。そのイメージについてなんであるかというのはここで問う気はないが、そうしたインスタントな連結はあまりにも早く、ジョイント部分を考える隙を与えさせない。僕らはそうした連結部分を立ち止まって考えようとするとあまりにも気疲れしてしまうのは、人生における成功体験なんてものが欲望のモンスターによって常に卑下され続けているからだ。能天気に生きろなんてことは言っていない。ただやはり立ち止まって考えるのは精神的に良くないように思える。なんらかの異常が起きない限り心臓は常に動き続けている。身体の動きと同様に、精神の動きもそのようにした方が良いのかもしれない。そんなことに正誤判断は持ち込めないけれど、考える価値はあるのではないだろうか。
流行りを常に取り入れよう。ダセえ服だけは着ないようにしよう、その方がきっと楽だから。
部屋
恥や失敗や思い出や青さ、楽しかったあの頃だとか、悲しみに暮れて毎日泣いていた日々だとか、放心状態のままよくわからずたくさんの人と寝た時期だとか、そんなものがたくさん部屋の中に内在している。大好きだったあの人の写真や手紙はもう捨ててしまった一方で、あまり好きでなかったあの子からのプレゼントはまだ洋服ダンスに残っている。酔った勢いでうちに来た人がフローリングにぶちまけたビールの痕はまだイマイチ取れないし、言葉にできないような大切な友人たちの残していった面影は何一つもないし、部屋は僕一人のものである一方で形に残った痕跡と、記憶の中にしかない跡形もない印象が常に残ってる。
そんなものを一緒くたに取っ払ってしまおうと、掃除をしたり換気をしたりするものの、特に記憶に作用することもない。いつでも誰かを迎え入れたいいよう常に部屋の掃除をしておくと言っていた偉人もいたけれど、僕はなるだけ人が来る時しか掃除をしたくない。めんどくさいとかそういうのじゃなくて、ただ取っ払おうとしたものが掃除をするたび色濃く写ってくるから、イマイチ切り替えの下手くそな僕にはどうも難しさを感じてしまう。04:59に不意に気付いた部屋に落ちてた謎の物を拾うのも億劫だし、壊れた冷蔵庫の中身をどうこうする勇気もない。ずっと欲しくて手に入れたものもガラクタのようになったし、誰も彼も僕に呆れ返ってるだろうな、ごめんなさい。
僕を成り立たせてきた色んな周縁がこの部屋にはある。この部屋を飛び出す勇気もまだないし、一方で見渡すそれも持ち合わせていないので、どうも布団の片隅で丸くなる日々が続いてる。
今から過去に何かあった人たちに言及をする元気もないし、想いを馳せるのも疲れてしまうのでするつもりはないが、みんな生きてるかな。大丈夫かな。
寒空の下で冷えてくこの天井の高い部屋と、僕はあと何年か付き合うことになるのだろうか。普通というレールからも外れてしまい、高等遊民のようにフラフラと生きている。ダメだなと思いながらも、どうも一歩が踏み出せない。
ただ親父、母さん、俺は元気にやってるよ。やりたい事をやって褒めてくれる人もいるよ。
それだけ。
誰が飲んでったかもわからない、酔っ払いの口紅のついた空き缶を灰皿にして、レトルトカレーを温めるのを待つ日々にはもううんざりだし。溜まってくクレンジングや歯ブラシを捨てていいものなのかも分からない。何もわからない。それだけなんだけどね。
やっぱり自分が変わることから始めていかなきゃだと思う。中々「しんどい」と言われる僕だけど、多分これから先もずっと部屋は散らかりやすいのだけは確かだろうな。歯医者もサボっちゃったな。お酒もやめなきゃな。タバコもそのうち辞められたらな。朝起きる癖を付けなきゃな。生きてくのは簡単で自分を不安にさせる要素を一つずつ排除していけばいいんだな。それが最終的に自分自身にならないように生きなきゃダメだな。
嘘みたいにいつも訳の分からないところを見つめて話す僕だけど、みんな友達でいてくれると嬉しいよ。それじゃまた。
新年一発目の更新だったね。
去年も去年でなんか色々ありすぎて、少し疲れちゃったな。でも頑張らなきゃな。みんな頑張ってる?御涙頂戴なんて辞めて、すくすく怪我も病気もせずに生きてください。
では、またTwitterでお会いしましょう。
だいぶ乱雑に書いてしまったな。次こそは綺麗な文書を書こう。
花火をした話
8月30日
前日の酩酊が少し残った状態で、とても暑い日の昼過ぎに、バイト先の人と以前の店長の働いてる店に行った。お互いの近況を聞きあい、みんなが生きてることを確認した。そこで僕は一緒に来てた奴の話を拾うばかりで、自分の話はバイトの最近の忙しさを語るのみで、決して自分の現状の話をしなかった。
日常を、自分のそれに対して、忌むべきどうしようもないものと、大学に突然通えなくなった話をまだ中々人に話せずにいる。
特にそのことに対して気を落とすこともなく、新宿から遠く離れ、神奈川県にまで向かった。ただ海で花火をしたいという目的のために。声をかけた何人かは予定が合わず、3人という少ない人数で僕らは退勤ラッシュの電車に揺られて茅ヶ崎の海まで向かった。
着いてみたらサザンビーチに近付くにつれ人通りが多くなっていた。こんな夜に、茅ヶ崎の海になぜこんなに人がと思っていたところ、aikoのフリーライブがその他で行われていることを同行していた女性から聞いた。
僕らはそんな地で花火ができるのか不安になりながらも、彼女のライブが終わるまでラーメン屋で食べながら時間を潰していた。ライブに合わせて上がる花火をラーメン屋の窓から眺めつつ、次第に暗くなっていく空と、ライブ帰りの人通りの多さに驚きながら。
結果はなんとかできた。浜辺を歩き、ライブ会場から離れたところで僕ら3人はaikoのための照明を背に花火を始めた。波風も強く、中々上手くはいかなかったけれど、照明に照らされた僕らはとても絵になるような様態だった。
煙草を燻らしながら、花火をしてる姿を眺めながら夏がどんどんと過ぎ去りつつあるのを感じていた。2018年になってまでも、アナログな火の光に騒ぐ僕らを、スマートフォンのライトとライブ会場の照明が、どこか皮肉めいてるようで面白いなと思っていた。バイト仲間はバイトの不安を海に向かって叫び、それを眺めてケタケタと笑っていた。
バイトの女の子に夢を語られ、ただ僕にできる応援と少しの警告を、自分の身を棚に上げて話して、年号最後の夏の夜はそんなハプニングと映画のような情景の記憶を僕に落として終わっていった。
ここから僕はまた大学に通うことに向かい合わなければいけない。少し気が遠いような話だけど。教授に謝罪のメールを入れる準備から始めようかな。大学の数少ない友人は遊びに誘ってくれるものの、少し向き合う力強さと勇気が僕に足りない。予定が合わないのもあるけれど。
少しずつ一歩一歩進んでる気はする。僕の望んでなかった人生が、刹那の楽しみを享受するくらいにはマシになった。生まれてよかったと思えるように行動しなくちゃ。まぁ見てて。どこかで。
乱文
すっかり季節も流れ、過去深い関係にありながらもこの世から去った人たち、僕の元から去っていった人達の顔も声も朧げになってきました。
ポケットに手を突っ込んでセンチメンタル通りを歩いていた僕は、そこでフラフラな一輪車に轢かれた事でようやく色々に気が付きましたが、別にそれをわざわざ人目につく所に立看板として置いておくこともしなくていいかと思っています。
僕の好きなアルバム総選挙、結果発表。
皆さん!!音楽は好きですか????
かれくさです。(@kakoso_aisiteru)
実は、僕は。
大好きです!
幼い頃から親のCDを漁ったり、音楽番組をテレビやラジオで見聞きしたり、youtubeが栄えてからはネットでいろんな音楽を探してみたり、ライブハウスにふら〜っと入ってみたり。
皆さんどんな風に好きな音楽を見つけていますか?
僕は、好きなバンドの対バンをきちんと聞いたり、youtubeに似たような感性持ってるなと感じるコメントしてる人のチャンネル見て、登録チャンネル公開していたら覗いてみたり、あとはまぁインターネットであてもない旅をしたり、Twitterの非公開リストみたりしています。
さぁ、突然ですが結果発表、行きます。
第10位
『SOFT』
- アーティスト: ストレイテナー
- 出版社/メーカー: EMIミュージックジャパン
- 発売日: 2012/06/13
- メディア: CD
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このアルバムの素晴らしさはアコースティックアレンジを加えることによって、歌詞やメロディがより鮮明に美しく感じられるところにあると思います。全曲通してとても綺麗なアルバムです。男性voながら、ここまでスッキリとしたアルバムを僕は知りません。透き通った目の奥に移した世界って感じのアルバムです。是非皆さんに聞いて欲しいです。
発売当時は僕は高校生で、ライブキッズしてたんですけど、ライブに行く前とかじゃない日常の中ではこのアルバムをよく聞いていました。
今でも聞きます。大好きです。
第9位
『SENSUOUS SYNCHRONIZED SHOW』
SENSUOUS SYNCHRONIZED SHOW [DVD]
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2009/05/13
- メディア: DVD
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小山田圭吾はすごいなぁ(小並感)って感じのアルバムです。Cool!!!!!!!って感じのアルバム。
冬の日の朝に聞くのがおすすめです。全曲聴き終わった時には、いい映画を見たような浮遊感があります。
第8位
DIALUCK
『A First Aid Kid』
このアルバムはね、素晴らしい。ぶっちゃけ1位でもいい。
もうね、とにかく"良い"って感じのアルバム。僕は関西出身なんですけど、関西のガールズバンドは本当にいい!!!中でも一番好きなのがDIALUCKです。yonigeなんかも超有名ですが、僕はDIALUCKの方が好きです。。。
なんか一つあればめちゃくちゃに売れるバンドになると思います。
voのハルちゃんの声質と楽曲のセンチな感じが堪らないです。
本当に皆に聞いて欲しいですこのアルバム。
気に入っていただければ是非彼女達のyoutubeチャンネルを見てください。可愛いです。たまらん。
このアルバムは曲の繋ぎも素晴らしいです、シームレスなんです。全曲通してずーっと聞いていられる。本当にオススメです。
第7位
CRCK/LCKS
『CRCK/LCKS』
皆さん、このバンドの楽曲の完成度の高さ、ライブパフォーマンス、素晴らしいの一言に尽きます。アルバムとしての曲の並べ方は正直よくわかりませんが、最後の曲のCRCK/LCKSのテーマで全て持ってってます。あの曲はライブでも最高に楽しいです。
というかこのバンドもそのうち結構売れるんじゃないかな、狭い箱で見れるのは今のうちだけかもしれません。是非ライブハウスへ。一緒にお酒を飲みましょう。
皆に是非聞いて欲しいアルバムの一つです。
第6位
『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.1』
Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.1
- アーティスト: 宇多田ヒカル
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 2004/03/31
- メディア: CD
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このアルバムは「ベストアルバム」という形ではありますが、収録されている曲が全て素晴らしい。そして聞けば聞くほどこの曲順が正しいと思わされる。アルバムタイトルも味気ないですが、それがまた良さを引き立てているようにも感じます。 当初は「思春期」というタイトルを付ける予定だったそうですが、これは付けなくて正解だと思ってます。
宇多田ヒカルの感性で過ごした思春期と、我々の凡庸な感性で過ごしたそれとが同質な訳がないのです。。。
宇多田ヒカル(16)「最初のキスはタバコのflavorがした」
は?????って感じですね。
このアルバムは14年も前ですが、僕が小学生の頃から、そして今になっても聞く平成の名盤の一つであると思います。
第5位
『スリーアウトチェンジ』
スリーアウトチェンジ 10th Anniversary Edition
- アーティスト: スーパーカー,石渡淳治
- 出版社/メーカー: キューンミュージック
- 発売日: 2007/04/04
- メディア: CD
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えーーーっと。掴みから最高。
スーパーカーについては色々語れる人多いと思いますが、僕はこれが一番いいアルバムだと思います。青森からこんなものが生まれたなんて。。。(偏見)青森はとてもいいとこです。一度しか行ったことはありませんが、空も海も綺麗でした。まぁこのアルバムは持ってる人も多いと思いますけれど、聞いたことない人は一度聞いてみてください。良きです。
第4位
siraph
『siraph』
このバンドは僕の大好きな作曲家の人や、好きなバンドのメンバーが総集結したって感じで、その。楽曲のレベルが高すぎる。いやもうね、とにかくかっこいいの。very very cool!
そういうアルバム。尖ってる日の帰り道とかに聞くと最強になった気持ちになれます。
全ての曲のどの部分もかっこいい。アルバムを通しての繋ぎもスムーズ。本当に大好きなアルバムの一つで、是非皆に聞いて欲しいです。
第3位
『サッポロOMOIDE IN MY HEAD状態』
ライヴ・アルバム ?サッポロ OMOIDE IN MY HEAD 状態
- アーティスト: ナンバーガール
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 2003/01/29
- メディア: CD
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かっこよすぎる。ライブ音源ってのがまたさらに良い。愛。憂。
「かっこのよろしい歌ば作り、聞いてもらえりゃ万々歳、そんな、あたしは、傾奇者。人呼んで、ナンバーガールと発しやす。」
わぁ!?かっこよすぎるよぉ!?!?
いやもうとにかくこれは尊い。神。ナンバガ好きな人なら皆好きでしょこのアルバム。最高です。大好き。愛してる。
第2位
宇宙コンビニ
『月の反射でみてた』
大好きなバンドです。サウンドが繊細で、夜道を歩く時にこのバンドを聞くとたまらないです。本当にこのバンドの音は夜の中の光って感じの眩しさがあります。皆さんに聞いてもらいたい。寒い夜の光。そんな感じのアルバム。
第1位
『amp-reflection』
- アーティスト: school food punishment
- 出版社/メーカー: ERJ
- 発売日: 2010/04/14
- メディア: CD
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僕が生きてきた中で一番好きなアルバム。最終的な着地点。全てが素晴らしい。120点。
もっともっと紹介したいアルバムはありますが、ベスト10に絞りました。
次の好きな曲総選挙の際にはもっとたくさんの曲を皆さんにご紹介できたらなと思います。
受動的取捨選択の時代
気付けば今年も終わりそうで、2017年ってなんか数字が気持ち悪いなと正月に友人宅でデリヘルを呼ぶか否かで悩みながら話していたことを思い出します。2018年に突入してしまえば、どこかその偶数のスッキリと心に入ってくるのかま、オッドナンバーな現在に多少の寂しさや懐かしさを感じてしまいそうではありますけれども。
西暦という数字は、もちろん僕たちが能動的に決めた数字ではありません。キリスト教によって死ぬまで、ある程度の文化圏にいる限りにおいては常に傍受されてしまう情報です。そこには善悪も快不快も、分断された二項対立が立ち入る隙もないくらいには僕らの当たり前として顕現されています。一方でこの国には元号がありますが、そちらは半世紀に一度くらいには変わってしまいますので、当たり前の領域にまでは事実として側にはいません。行政手続きやなんやらをあまり経験しない子供達にとって、自分の生まれた元号は毎回調べるものであっても特に疑問は持ちません。もちろん大人の私たちにとってそれは確たる常識ではあります。
西暦と元号の当たり前という認識の違いは、自身がその情報をどう取り扱っているかに向かって行くものだと考えています。そして、ユビキタス社会な現状がそう感じさせていないのもまた一つの問題です。
情報ソースというものについて、過去では新聞やテレビといった、そういった与えられる媒体から常に手に入れていました。僕はそのような時代では15年ほどしか過ごしていませんでしたが、現在と過去を比べてみると圧倒的に現在は利便性に溢れています。天気一つとっても、ズームインで見た天気予報を1日1週間頭に入れておく必要はなく、スマートフォンでその場でパッと調べられます。具体例を挙げているとキリがないのですが、こうした不変の事実(天気やある程度のニュース)においてはスマートフォンの利便性は我々の生活の当たり前へとなっています。一方で、何を調べて何を見て何を考えるかという点については、我々はあまりにも突き放されてるように感じます。こんなことは小学生でも重々承知でしょうけれど、インターネットによる情報収集からの自身の望んだ世界の形成を意識的に改善して行くのは、非常に難しいです。そしてそれを悪としてしまうのもどこかお門違いのような感じもします。インターネットだけの情報で生きるなというのは、それはもちろん誤った情報に踊らされるなという意味を孕んでいるんでしょうが、僕はそれに対してそこまでネガティブなイマージュを持てません。個々人の形成したいマクロな世界の中で生きていくほうがよっぽど健康的だと思います。情報過多のこの世界で、真偽を見極め、世界という大局の元で日々を生き抜くのは非常に困難な生き方であるように感じます。
だからといって、自身の世界が全体であるという意識を無意識的にでも押し出してはならないのです。それは他方で望まれなかった世界でもありますから。そして受け取る我々もそういった情報はなるべくシャットアウトして生きた方がよっぽど健全です。
やれ最近では、インスタ映えやら、いいね!のための承認欲求やらが謳われておりますけれど、他者性の中に自己を見つめてしまうから、自身の中に似たような欲求があり、それを上手いこと表象できないからこそSNSにおいて他者を叩いてしまうように感じられます。
情報の発信も受信も、分別を付けてきちんと行い、最適化された世界、コミュニティの中で生きてゆくことを世界中で望まれてるようにも感じます。ナショナリズムなんかがその最たる例です。グローバル化の社会だ!なんて言いながらも、経済的な取引の規模が広がっただけで、経済活動をしょっぴいた一個人としての生の中には世界は我々人間にはまだあまりにも広すぎるのです。目下スペインでも国境が増えようとしています。
冒頭のデリヘルを呼ぼうか悩んでいたなんて極小コミュニティの話題であって、それを面白いと思って読んでいた人間なんて僕の周囲の人間しかいないでしょう。我々はそうした狭い世界の中で、自身を管理できる世界の中で、望んだ世界を形成することのできるこのデバイスとともに明るい明日を切り開いていくことが一番の小さな市民である我々の平和に繋がるのだと思います。
もちろんそうは言ってられない世界も多数あるかと思いますが、そんなものはトップクラスの政治家や資産家にしか当てはまらないことです。そういった人たちを叩くのは本当に愚かなことです。彼らは僕らの知らない世界で、同時多発的な心理的テロリズムを常に対処しなければならないところで生きているのだから。無関心でいろとは言いませんが、「大変ですね」くらいの心情で接するくらいがちょうどいいです。それでも気に入らないことがあるのならば、あなた自身がその世界に飛び込んでいて欲しいです。これもまた僕の小さな世界から、寛容のない人間への自身の寛容のなさですね。閉じたコミュニティは小さな火種を撒きますが、何一つ害を撒き散らかさないのであれば、僕はそうして小競り合いを続けながら、狭小なムラで僕とその大切な人々の幸せを願いながら生きて生きます。